言葉の区別と機微

批判・批評・非難・悪口など、似たような、でも微妙に意味合いの違う言葉があって使い方に悩むというようなことはわりとあるもので、困ったときはいったん日本語以外の言葉に訳してみるというのはひとつの手なのですが、そうこうするうちに余計わけがわからない事態に陥るということもままあります。翻訳というのはもともとゆらぎのあるものですし、仏語とかだと上の例であれば「critique」の一語でまとめられちゃったりするし。

なににせよ、大事なのは「一貫性」を持って言葉を使うことかなと思います。とかいって人と話すたびに言葉の定義から検討していたのでは話にならないのですが。まあ、きわめて微妙なニュアンスの言葉までが話者同士の間でお互いに通じている(ように感じる)というのはなかなかすごい現象だと確認したところで、今回は僕の言葉の使い分けをちょっとだらっと書いてみます。

批判・批評・非難・悪口であれば、左から右に向かって相手を責め立てる感じが強い印象が僕はあります。おおむね「批判」を使っておけば特別な「含み」を相手に感じさせないですむと思うのですが、「批判」というのはカントの批判哲学やそれ以後の批判主義などとの関係で少し特殊な意味合いがあるので逆に避ける人はいるかもしれないです。

ただ、日常ではあまりそういうことを意識して言葉を使うことはないと思います。むしろ、そういうのを意識してしまうという人は注意が必要です。僕は専門用語やそこに含まれる暗黙の前提を使って話をするというのがあまり好きではないので、特にそう思います。平易な言葉でも十分に専門的な内容は喋れると思うし、多少長い文章になってもそのほうが良いだろうと感じるので。

ときおり、難しい言葉を使わないとものごとを探求できないと信じている人がいて参ります。言葉に酔っているという感じでしょうか。あれは前提を共有していることがその領域に属することの条件になっているような限られた場所だけで有効な言葉のルールであって、必ずしもどこでもそうでなければならないといった類のものではないですよね。全般的に言葉が特殊だと内容は平易になるのですが、普通の人は言葉の難しさにまず転ぶので、内容が多少持って回ったものになっても平易な言葉で記述することは大切だろうと感じます。

それで、僕のなかで「批判」は、「よい面」と「わるい面」の両方を客観的に指摘するような印象があります。ここはいまひとつだなというところを指摘するのとともに、ここはなかなかいけてるという部分を指摘する、つまり、正負の両面を価値付ける感じです。客観的にというからには外部になにかしらの基準が必要になるのですが、これが「批判」の難しいところですね。だから、この言葉が一番堅い感じでしょうか。読解力や分析力、論理的な力、あるいは文章力などが必要になり敷居が高い。批判するのは難しいです。それに両面を評価しなきゃいけないからわりと長い文章になるでしょう。

「批評」であれば、これはより主観的だという印象があります。本を批評するときは「書評」になるわけですが、これは外部の価値基準を必ずしも考慮しないでもいい感じです。自分のなかの蓄積と照らし合わせて価値付ける感じですね。だからむしろ、良い/悪いといった積極的な主張、他人を説得するような内容からは少し遠いところにあって、どちらかというと「自分はこう感じた」ないし「面白かった」といった気持ちを言葉で肉付けして表現した感じですね。

外部の価値基準に基礎を持たなければならないか、内部の価値基準に基礎を持つかの違いが、「批判」と「批評」の大きな違いかなと思います。客観的でなければならないか、主観的でよいかという感じかな。だから、「批評」であれば、前回の批評と今回の批評で内容が違うというようなことはあって良いし、むしろあったほうが良いとすら思うけれど、「批判」は基本的に内容がずれてしまうのはいけないだろうと思います。そして、感覚的ではなしに、理解しようとする人が誰でも理解できるようなものが望ましいだろうと思います。

「非難」は「非難轟々」とかいいますし、ぎゃーぎゃーっていう感じでしょうか。負の感情が表に立っている印象があります。ここまできちゃうとあまり言葉は関係ないかなと思います。相手がなにを言っていても、なにかこちらの非を責めているのだろうと。いっそのこと謝っちゃおっかな、それで治まるならという感じではないでしょうか。

外国人とか、自分と違う言葉を使う人に怒鳴られたとき、なにを言っているのか意味はわからないけど「怒っていることだけは確実にわかる」らしいです。それに近いものかなと思います。ただ、「非難」だけは「非難しよう」と思って非難する人はあまりいなさそうなのが特徴的でしょうね。「批判」や「批評」をするつもりが「非難」になっていたということが多いのじゃないかと思います。あと、「受け手」の印象でまっとうな批判も「非難」に落されてしまうということはありそうです。

で、実は僕は「悪口」というのが好きなんですが、悪口は理屈や論理を度外視にして純粋に相手に敵意をぶつけることだと、僕はしています。それってきれいだなって思うんですよね。逆にそこまでになると面白かったりしちゃうと思うんです。ちょっとニュアンスが変わっちゃうけど、「ばか!ばか!○んこ!」とか、これはたぶん悪口ですよね。相手に言われたら、「あ、いまの悪口だ!」って思うに違いないんです。でも絶対笑っちゃうと思うんです。

「非難」はまだなにか理屈を付けようとしていて、単に「嫌いなだけ」なのに言葉で偽装して攻撃しようとしている濁りを感じますが、「悪口」はもう確実に発散、少ない言葉で相手に言葉を投げ付けるという感じです。これが「罵倒」になると、なにか相手の欠点だとか弱点だとかと関連付けて意味と勢いのある中傷という感じですが、「悪口」はもっと透明で相手に自分の思いをぶつけている感じです。好きな人に向かって「好きです!」っていうのと近いですね。なかなか、悪口言われる機会ってないんですけど言われたらちょっと感動しちゃいそうです。

というわけで、「評価と評定」、「怒ると叱る」など、区別したい点は他にもけっこうあるのですが、予想外に長い文章になってしまったので、次にまわしまーす。