ら抜き言葉

小生にうずの「こんにちわ撲滅委員会に触れた記事」のところでも書いたのだけど、僕は「ら抜き言葉」はわかって使っている分には全然問題ないと思ってます。「い抜き言葉」も論文とかでもない限りはありかな。いまも「思ってます」って書いたけど、これも実は毎回「思っています」と書こうかどうかみたいなところで悩んだりして、Kourick SuBlogではできるだけ「い」は抜いていってます。ここも「いってます」であって「いっています」ではないわけで、これはそうしたほうが文章の堅い印象をほどけるから。同じ理由で語尾の「です」とかも省いちゃっていいと思う。

必要のないものは省いたほうが良いというのは当たり前だけど、文章表現に関して特に日本語では言葉を費やしたほうが「手をかけた」「言葉を尽した」感があって「礼儀正しい印象」を持たれます。いまの「当たり前だけど」のところも、「当たり前ですが」「当たり前ですけど」「当たり前ですけれど」とか文字が追加されるたびに丁寧な印象がもたれるようで、この辺の使い方は毎度悩みます。「当たり前なのですけれど」とかなると、謙遜や譲歩の含みも入ってきたりして難しいところです。

だから、言葉を増やせば増やすほど礼儀正しいのだけど「堅い」「もって回った言い方」になってスピード感が削がれます。だから、ライトノベルなどで「擬音」や「擬態語」だけの行があるとかいうのは、この省略の表現を最大限に生かそうとしている例として面白いと思います。「ドスン!」とか「ギャギャッ!」だけでそこで行われた行動まで省略して説明せずに表現してしまうんですね。かなり文脈依存的な表現なんだけど「勢い」で読めてしまう。

「です・ます」と「た・だ」を混ぜてはいけないというのも基本なんだけど、これとかも厳守すると詰まらない文章になるということはあります。いまの「なんだけど」も「なのだけど」と相当迷うところで、これは「なのだけれど」「なのですけれど」とかバリエーションがあって、中島らもさんなら「なんであるが」とやっちゃうところ(笑)。難しい。僕は「なのだよね」とか「なんだよなあ」とか使うことが多いかも。