和弓と洋弓の構造的差異

弓の精神性ということで少し話をしましたが、正直なところ、それは些細なことです。むしろ、些細なことだからこそ大切にされているといっても良いように思います。より一般的に興味を惹かれるのは和弓の形状の歴史的・機能的な発展のほうではないでしょうか。実際、これはとても面白いところで、和弓の各部の名称の由来や、射法に関わる実践的な事柄も含めて話すと、なかなか終わりのこない話題です。ですから、ここでは和弓と洋弓との差異という観点に絞って、少し話をしてみたいと思います。

以前、お祭りか遊園地のアトラクションで洋弓(といっても、おもちゃのようなものなのではないかと思うのですが)を射る機会がありました。そのときは四本打たせてもらったのですが、実にその四本ともが左下方にいってしまいました。このときは、僕の狙いが悪かったのだろうと思ったのですが、後々、他の部員にも話を聞いてみると、みな左下方に矢がいっていました。範囲は限定されていますが、なにかしら有意な結果であると判断できました(矢所も安定していたし)。そして、これには理由があります。

和弓を使っている人は洋弓を通常通りの仕方で射ると左下方に矢が飛ぶのです。これは和弓が「非対称形」で、洋弓が「対称形」であるということと(前者は対称軸が一本、後者は二本)、和弓が「弓返り射法」で、洋弓が「打切り射法」であるということによります。和弓はその「非対称性」により、矢は構造的に上方に飛び、「弓返り射法」をしないと、矢は構造的に右方に飛ぶことになります。和弓は「弓把」(握るところ)が下のほうに付いているので、矢を番えた位置より下方の弦の返りが速いです。そのため、上方に飛びます。

これはまさにベクトルで考えてもいいです。そのために射法においてやや上押し気味の力を弓にかけて矢飛びを制御します。これは練習をするうちに無意識的にされるようになります(もちろん押手の手の内が上押しになるのは駄目なのですが)。また、和弓は弓の右側に矢を付けます。弓を持っている左手親指の上に矢を乗せるわけです。しかし、弦は当然、弓の対称軸である中心に戻ろうとしますから、必然的に矢は右側に飛ぶことになります(弦を張る位置を多少調整しようとあまり関係ありません)。

それを制御するために、やはり射法において、やや左方にひねりをいれることになります(これは射る瞬間に弓を左に振るということではなく、左手親指を的に押す感じとともに「離れ」において「胸を割る」ので適切な射法をしていれば勝手にひねりは入っていることになります)。またこのとき、弦は曲がる軌道を描きながら弓に戻ろうとするので(これにも理由があります)、弓(弦)の力をフルに矢に乗せるために矢が離れるときに手の内で弓を回転させます。いわゆるフォロースルーです。これは弓の力がすべて矢に乗る射法で「弓返り射法」といいます。

そのため、射る前は左腕の右側にあった弦は、射た後は左腕の左側にあることになります(これもやはり適切な射法によって自ずからそうなるものであって、意図的に弓を手の内で回転させると「それは弓返りではなく、弓返しだ」という指摘を受けます)。他方、洋弓であれば、弓は対称形になっているので、まず的の正面に構えれば的に向かって矢が飛びます。また、矢受けが弓幅の中心になるように弓が加工され、弦もそこに返るので、左腕と弓は的の正面で固定した状態が望ましいことになります。

しかし、この場合、弓を持っている腕に弦がもろに当たることになってしまいます。したがって、洋弓では「アームガード」と呼ばれる腕を保護する防具を付けます。このような射法を、左手で持った弓の位置まで弦が返り、それ以上は弦が動かないので「打切り射法」といいます。ちなみに和弓でも、速射が要求されるときは弓返りしないように手に「クスネ」という滑り止めを付けます。これがいわゆる「手薬煉(テグスネ)をひいて待っている」状態です。戦闘準備オッケー、いつでも来いという状態ですね。

実戦(いわゆる武射。一般的に、現代のは礼射)においては、いちいち弓返りなどさせていたら矢数が打てないので、あまり弦を引き絞らずに強い弓を用いることで威力をだしつつ矢数を増やしていたようです。「五人張り」あたりが有名でしょうか。以上のことから、普段和弓を使っている人が洋弓を使うと左下方に矢が飛んでしまう理由がわかっていただけたのではないかと思います。つまり、僕は洋弓を打つときに無意識的に「上押し」をかけて「ひねり」をいれてしまっていたのです。

黙って左手に持って的に照準を合わせて素直に打てば狙ったところに飛んだはずなのに、打つときに「余計なこと」をしてしまったので狙いがずれたわけです。これは面白い違いだと思います。このあたりが「和弓は機械ではなく道具だ」といわれる由縁かもしれません。ところで、なぜ和弓は非対称形なのでしょうか。改めて考えてみると、和弓の形態の美しさとは裏腹に不合理なように思います。しかし、これにもちゃんと理由があるようです。というのも、日本人が最初に用いた弓というのが「丸木弓」だったからではないかと言われています。

丸木弓というのは、手頃な木の皮を剥いで作った簡単なもので、したがって、根元部分が太くて硬く、梢部分が細く柔らかくしなるといった不均質な弓材になります。このような不均質な材料で対称形の弓を作ると、根元部分の反発が強いので上方に飛ぶことになります。よって、弓把を下に取り、上部と下部の力の均衡を保つことで矢が直線的に飛ぶように加工したと思われます。このように理解すると不合理に思われた「非対称形」にも合理的な理由があったのだとわかります。むろん、長弓のほうが扱いやすいという理由もあったかもしれません。

しかし、その後、弓の材質や形態の発達にもかかわらず、どうして日本人は非対称形という弓の形状を維持したのでしょうか。それは寡聞にしてちょっとわからないのですが、現代に伝わる弓術の完成度を考えると、その選択肢は間違ってはいなかっただろうとは思います。また、和弓の形状を美しいと感じる感性を歴史を通じて弓に親しむ人たちが持っていたのかもしれないなと思うと、その説明もいらないように思います。そして、その和弓の美しさに見合うように弓術は発展して、弓道になっているのです。