ささやかなサイト論のためのささやかなメモ。

どうもまとまった文章を書いている余裕がないのだけれど、僕が書こうと思っている内容は多少はっきりとしているので、それだけ先にメモしておきます。

  • いまのところ、ソーシャルブックマーク個人ニュースサイト群は別個の文化を形成している。
    • これを個々人で検証するのは困難だが、これは重要な観点であるように思う。
    • Web全体というよりも、個々の文化に注目したとき、近い未来に起こりうることは、結局のところ、それらの「文化の融合」である。
    • それはどのようなツールを用いるかということと、どのような表現方法を用いるかということの二点の落としどころによって変化し続ける。
    • わたしたちがツールの表現力に束縛される必要はないし、また、目的に適うだけの表現力を持ったツールをあえて使わない理由もない。
  • 現在、もし、「個人ニュースサイト」という確定したなにかが本当にあるのだとしたら、それは衰退するのかもしれない。
    • しかし、その衰退が相対的なものかどうかは検討の余地がある。
    • 現段階で「個人ニュースサイト」が減っているという事実はないし、また、「個人ニュースサイト群」の有する場の力が減衰したという事実もないだろう。
    • ちなみに、個々人の活動が公的なツールを媒介するような領域に押し込まれたとして、アダルトサイトやアングラサイトはどうなるだろう。
  • ソーシャルブックマークは面白い、ただ、ウェブでメインになれるほどの個人サイトとしての地力があるかというときわめて怪しい。
    • もしいま、「個人ニュースサイト界隈」という、なにか特定の領域に愛着を感じる人がいて、次の世代になにかを託したいと思うなら、「個人ニュースサイト」のフォーマットを用意しておいたら良いかもしれない。
    • それは例えば、「俺ニュースフォーマット」といった有名なものから、個人ニュースサイトの運営に用いられている工夫といったものである。そうした工夫がストックされていないことは本当にもったいない。また、サイトの認知度の高め方も、適切で効果的なものはあるだろう。そういう知恵が、実はウェブにはストックされていない。
    • 一見、これは不思議なことのように感じられるけれど、こうしたことが「個人ニュースサイト群」という語の指示する領域の曖昧さを実証しているとも考えられる。
  • ソーシャルブックマークは巨大化するほど不安定になる。
    • 今後、ウェブはいかに居心地の良いローカルな場を作り出すかということが重大事になる。
    • むしろ、それこそが一介の個人が存在するようなウェブの等身大の姿なのだろう。
    • また、適切に権威のたまる劇場的な場を、いまよりも確実に、生産的な場として、ウェブに形成できるようになるかもしれない。
  • また、アクセス数と影響力を「=」で結ぶことには抵抗を感じる。
    • なぜなら、アクセス数は「サイト」に溜まるものであり、影響力はサイトの「中の人」に作用するものだからである。
    • サイトが影響力をもっているのか、サイトの中の人が影響力をもっているのか、どちらであるのかを確かめることは常に有意義である。
  • まず必要なのは、どれだけ些細な領域であれ、そこで行われている人々の活動を過小評価しないことであり、最大限の敬意を払って人に接することである。
  • システムとして優れていることと、個人の選好を充分に満足させることができるのとは別のことである。
  • そして、個人サイトである以上は後者が尊重されることは必然である。
    • もちろん、後者を包含するシステムというのが望ましいものだし、理想ではある。
    • しかし、全体が「水」だからといって、それを構成する一単位まで水だと思ってしまうような誤謬は犯すべきではない。