漫画ナツ100 in 2007 選んだマンガの感想 11-13

書き始めたのに最初のところだけ書いて中途半端に放置してしまいそうでしたけれど、どうにかこうにか続きです。

011. 『さよなら絶望先生』(久米田康治

Webでの知名度の高さに定評のある鬼才・久米田先生の作品。今期、とうとう念願のアニメ化もされ、新房昭之監督ひきいるフリーダムなスタッフたちの演出によりアニメも面白いです。『週間少年マガジン』で連載しており、さまざまな小ネタの盛り込まれた漫画を毎週描いていることに僕は感嘆するのですが、僕の周りではあまり久米田作品を読んでいる人がいなかったので、友人と漫画の話をするときにはその面白さを仄めかしていました(隠伏的布教活動)。「毒」といっても、久米田先生の毒は「いわれてみたら、たしかにそういうところあるよね」というような奇妙な説得力をもった気付きを促すもので、ある種のカタルシスを読者にもたらします。少し距離をとって物事を斜めからみるのが好きなオトナにとって面白い作品という感じかな。あの突拍子もないストーリィ展開とそこから畳み掛ける頭の柔らかい小ネタの連打(あと女性キャラクタの可愛さ)に僕は魅了されるのですが、人によっては全然面白いと思わない(し、読むのも面倒臭いと思う)人もいるみたいで、そのあたりの落差の大きさも特徴的でしょうか。ちなみにアニメ版絶望先生のOP&EDは2007年後期のアニメ中もっとも印象深いものです。

012. 『るくるく』(あさりよしとお

夏100に参加しているサイトをちらほらとみてまわったところ、あさりよしとお作品では『宇宙家族カールビンソン』『ワッハマン』ないし『夏のロケット』『細腕三畳紀』といった作品を挙げているところが多かったように思います。作品数の多いこともあってか好きな作品も分散する傾向にあるみたいなのですが、それはそれとして、ここはやはり、僕はこう言いたい、「瑠玖羽かわいいよ瑠玖羽」と。そして僕は問いたい、どうしてきみたちは瑠玖羽の可愛らしさにやられていないのかと。性格・容姿ともに絶妙のキャラクタデザインで、『るくるく』は久々にキャラクタに瞬殺された作品です(思う壺)。あの達磨様ソックリのオヤジから、あの可愛らしいキャラクタが生まれたのかと思うとむしろ作家萌えすらします。特に自由自在に使役できる髪の束(瑠玖羽のもつ潜在的な力の象徴)は好きで、翼状になって飛ぶシーンは格好良いし、腕状(レイレイの爪みたいな感じ)になって便利に使われているさまは可愛らしい。ちなみに足首もちゃんと太いです。

013. 『花子と寓話のテラー』(えすのサカエ

未来日記』とどっちかなと思ったのですが、もう連載が終了しているということとタイトルの良さで『花子と寓話のテラー』を挙げました。「寓話探偵の寓話化」とか、「寓話」という響きは独特の雰囲気があって秀逸だと思いました。「物語」「虚構」「都市伝説」「妖怪」とかいろいろ言いようはあるわけですけれど、この作品では「寓話」です。普通、妖怪の類(ないし異界の存在者)の登場する作品は、そういう妖怪の存在は前提されているか、あるいは人間の精神活動を具象化したものとしてさも存在しているように扱われているか、のどちらかが多いと思うのですが、この作品では「妖怪的な登場人物たちの存在」は「作中で物語られるということ」と密接に結び付いています。イメージが具現化するとか、精神的エネルギィが物理的エネルギィに転化するというような仕掛けはいまやそれほど珍しいものではないですが、「物語るという行為」と「物語られる対象の実在」がリンクしているという仕掛けは僕にとっては目新しいものでした。この仕掛けのおかげで作中世界の「現実感」というものは、実のところ、かなり不安定なものになっています。しかし、この不安定感があるからこそ、ああいう感動的な(通常なら掟破りとか言われかねない)大団円にできるわけですし、あの不安定な現実感というのは現代的な若者の感覚というのを掬い取っているとも思います(端的に言うと、「自分にとって」リアリティの強いものこそ「本当に」存在しているものであるという感性)。ちなみに、実はタイトル自体が伏線になっていて、その回収が最終回直前という気の長い仕込みにはけっこう驚きました。複雑な物語構造になっています。