共感至上主義を危惧する

共感ってすばらしい 「ブログには共感を呼ぶなにかある」W A K I のトンボの目

僕はむしろ、Web という場においては、「共感を肯定的に評価しすぎることは危ない」と言いたいと思っています。だから、この記事のように、あたかも「共感が素晴らしい」ということは当然であり、これを疑うような人は人として問題があるというようなことが前提になっている書き方をされると気持ち悪い上に心配になります。

どうして共感が危ないのかということですが、それは共感というのが「うんうん、わかるわかる」という無条件の賛成を求めるものだからです。共感を至上にしてしまうと、下手をすると、他人との意見の相違というものを「わたしと相性の悪い人」として、そうした他人との関係を、ばっさり切り捨てることになりかねないからです。

しかし、コミュニケーションとはもともと、そういうものではないはずです。人と違いがあるところでこそコミュニケーションというのは必要になるわけです。それを無視してしまうと、単なる独りよがりになってしまいます。そもそも意見が違うからこそ、人と関わり、意見を突き合わせることになり、まさにそこにおいて「分かり合う」とか「納得する」とか「合意する」いうことが可能なわけです。

それを共感という、どこか漠然としたもので「端的に通じ合ってしまう」と、それはもう、互いの違いといったものを超越して溶け合ってしまった関係性です。これは確かに魅惑的ではあるかもしれないけれど、ウェブにおいて実際には短絡的で閉鎖的な集まりになりかねないという点で危険だろうと感じます。