ネタもないことだし、ニュースです。

ゆとり教育「評価せず」65%
http://202.232.127.69/shakai/wadai/news/20050328k0000m040098000c.html
教育の話かと思いきや、いきなり牛の話になったりしてなんじゃこりゃなわけですが、毎日新聞世論調査らしいです。「評価せず」の理由は「学力が低下しているから」らしいのだけど、はたして「なにをもって学力としているのか」がわからない。むしろ、それぞれで全然違うことを把握していたり、下手をすると「なんとなしに」言っている気がする。「巨人を嫌いって言っとけば通だと思ってんのか」みたいな。ちなみに、そもそもいままでの「既成の学力観」に「NO!」といったのが「ゆとり教育」ではなかったか。

そこのところはきちっとみないといけない。日本の教育は一度大きな方向転換をしようとしたのだ。これは、たしかに多少思弁的で具体性に欠け、結果を的確にシミュレートしてなかったようなところがあるけれど、すごいことだった。それはたぶん前例のない方向だったし、だから、海外と比較するというようなことも難しかった。そして、それは世論が望むからそうなったであって、結果が悪かったからといって、いきなり手のひらを返してお上を責めだすのは気持ちの良いものじゃない。それに「教育の結果」というのは非常に漠然としているし、でるのに時間がかかる。たったの「四年」でなにかがわかるものではない。小学生ならまだ卒業もしていないのだ。

国の「教育」というのは「国民のため」にやるものだから、「世論」が絶対的な基準になるとは思うけれど、メディアが煽るままに「学力低下」だとか「教育の危機」といった看板に従うだけじゃなく、実態を見て、具体的にどうなのか、どうしたいかというのを見て考えなければいけない。そして、自分の問題として考えないとならない。教育を受けているのは「国民」ではない、ほかならぬ「あなたの子供」なのだ。だから、一度、最寄の学校とかを参観に行ったほうが良い。いまはどこの学校でも公開しているので、見たいと言ったらどうぞと見せてもらえる。「その学校の教育」がどうなのか、というのがやはり「教育」よりも大切なのだ。そういうローカルな意識というのは大事にしたほうが良い。結局はそういうものが「教育」なのだ。わが身可愛さ、これが大事だ。

核家族化で家庭の機能が周囲に分散しているとはしばしば耳にする。なるほど、その通りだ。いま家庭は、その教育の機能を学校に丸投げにしようとしている。しかし、自分たちの次の世代の「教育」の責任を背負うのがいやで、なにもせずに「どうにかしろ!」と誰かに向かって叫ぶだけというのはちょっと酷い。それでは、具体的な行為や金額を示さずに「謝罪しろ!」「賠償しろ!」と叫ぶだけのわけのわからない国民たちと同じなのだ。